ニート生活記 やることないのでひたすら歩く
おはようございます!たきまなぶです。
前回は香港から帰国後、うつの治療のため、ただ近所を徘徊していたお話しをさせていきました。
今回はこの徘徊がどんどんエスカレートしていったお話しをさせていただきたいと思います。
・人のいない方
人生二度目のうつ病とニート生活。自分を責めそうになることも多々ありましたが、1回目のときにこの自分を責めるという思考がいかに弊害をもたらすかを嫌というほど体験していたため、そんな思考に陥りそうになる度に無心で散歩をしていました。
最初はひたすら近所の住宅街を歩き回っていましたが、だんだんエスカレート。「もっと人がいない静かなところを歩きたい」と考えるようになりました。近所の住宅街も十分静かなのですが 笑
ぼくの地元は少し移動すればすぐ田園や山ばかりの場所に行けるため、日々自然を眺めながらひたすら歩き回る日々。
本当に視界の中に一切人間が入らない場所を日々徘徊していました。傍から見たら完全に変質者だったと思います。
ちなみに下記のような風景の場所に毎日出没していました。画像が荒くて見づらいですが、実際に行った場所の写真です。
・となり町へ
こうしてぼくの徘徊はどんどんエスカレートしていき、気づけばとなり町まで歩いて行くようになっていました。
地方にお住まいの方は感覚的にご理解いただけると思いますが、となり町まで歩いて行くというのは普通はやらない行為です。
ちなみにぼくの住んでいた地域からとなり町までは約20キロくらいはあります。
片道だけで体力を使い果たし帰りは電車で帰るという邪道行為に何度も及びました 笑
とにかく他にやることもないので日々ひたすら歩き回っていました。
・どこまで行けるか試してみた
そんなある日、ぼくはまた人のいない方へと歩いていると、ある山道へたどり着きました。この時点ですでに10キロくらいは歩いていたと思いますが、このままどこまで行けるのか試してみたくなり、ひたすら前進。
「携帯で地図を見たら負け」という謎ルールを己に課し、ただひたすら前進。
気づけば夕方になり、辺りも暗くなってきたとき、帰れるのか不安な気持ちにもなりましたが、「道はどこかに続いている!」という謎の自信を胸にさらに前進。こんな感じの場所を歩いていました。その時の実際の写真です。
そして夜になり辺りが真っ暗になったころ、「携帯で地図を見たら負け」という鉄の掟はいとも簡単に崩壊。
街灯もない真っ暗な山道で「熊とか出てきたらしぬ」とさすがに自分の生命の危機を感じました。
そして地図を見て驚愕の事実が。
どんなルートを辿っても帰るのに8時間くらいはかかることがわかりました。
山道のため、電車もバスも当然通ってません。
葛藤の末、親に電話。
第一声で「ごめん。遭難してもうた」と告白。
すると「車で迎えに行くから現在地を教えろ」とのこと。
親のありがたみを痛いほど感じつつも、現在地がわからないためまた連絡すると言い一度電話を切り、またしばらく歩いていると民家を見つけました。
なりふり構っていられないとその民家のインターホンを押す。
するとご年配のお父さんが登場。かなり怪しまれているご様子。
静かな山沿いの集落で夜な夜な見知らぬ男が突然現れたのだから当然です。
ぼくは第一声で「あのー。ここどこですか?」とわけのわからない質問をしてしまいましたが、お父さんはこんな怪しい訪問者に住所を教えてくれました。
お父さんにお礼を言い、再度親に連絡して住所を伝えました。
そしてしばらくして、両親が車で到着。
心からの謝罪と感謝を伝えました。
すると父親から静かに一言。
「お前あんまり遠くに行くなよ」
このときぼくは27歳。アラサーになって親から遠くに行くなと言われるとは夢にも思いませんでした。
しかし100%ぼくが悪いため、素直に「はい。すみませんでした」と謝罪。
この日以降ぼくの徘徊は帰れる範囲内に収まっていきました。
・今日のまなぶ
論語には「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という良いと言われることでも、やり過ぎは害になるという意味の有名な言葉がりますが、まさにそれを感じた瞬間でした。
何事も適量というものが存在します。やり過ぎはぼくのように周りにまで迷惑をかける場合もあります。
仕事、勉強だけでなくお酒や趣味等々、やり過ぎていないかどうか1度立ち止まって考えてみてはいかがでしょうか?
今日も素敵な1日を。
たきまなぶでした。