香港チャレンジ回想録⑳ そしてまた新スタート
・まずは成功!
おはようございます!たきまなぶです。
前回は新しい事業を展開し、5名の若い女性が来てくれたお話しをさせていただきました。
この方たちは日系企業に勤務しており、皆同僚とのこと。
全員日本への留学経験もあり、日本語が堪能な方々でした。
日本企業独特の習慣や、方言、日本と香港の違い等をディスカッションし、盛り上がることができました。
彼女たちとはFacebookでもつながり、ぜひまた参加したいとの嬉しい声をいただくことができました。
・オーナーからのメール
こうして新規事業を着々と展開させていく中、Bオーナーから一通のメールがきました。
そこには
「(香港では)テレアポの成果が全然でておらず、マイナスとなっています。生産性の低い者は切る等、たき社長が調整してください」
とのこと。ぼくたちは相変わらず日本へのテレアポが本業だったのですが、テレアポへのモチベーションは相変わらず低く、あまり成果が出ていませんでした。
たしかに人件費や家賃等経費を差し引くと完全に赤字の状況。
テレアポをこれ以上やりたくないぼくたちと、テレアポをやらせ赤字を解消したいオーナーたち。
新規事業で稼げれば1番いいのですが、まだまだ全然稼げるレベルではない状況。
今まではぼくたちはお金を払ってプログラムに参加してる立場だったため、予算もついておりませんでしたが、ぼくが社長になったことによって事態は大きく変わりました。
要するにムダが多いから成果が出ていない奴は切れ。ということです。経営者としては当然の考えなのかもしれません。
・Bさんの葛藤
このことはBさん、Fさんにもありのまま伝えました。
その時Bさんが思い詰めた様子で「オレはここを辞めて別な場所で働こうと思う」とのこと。
Bさんは新しくはじめた新規事業にもあまり乗り気な様子ではなく、少し前から飲食店でのアルバイトもはじめており、近いうちに離れることを考えていた様子。
原因は完全にオーナーたちへの不信感です。今回のメールの件でそれが決定的なものとなりました。
ぼくにもBさんの気持ちは痛いほどわかりました。これ以上2人のオーナーの下で働かない方がいいのかもしれないと、ぼくもずっと考えていたからです。
・オーナー2人と対峙
そんな時、再びA、B両オーナーが香港に来るとのことで、1度ミーティングの場を設けることになりました。
ぼくはそこでもうこれ以上テレアポはやりたくない、自分たちがやりたい事業をやりたい。という考えを伝えようと決めていました。
そんなことを言えば恐らくクビになり、収入もなくなり、異国の地で完全に0からスタートとなるだろうと思うとかなり恐怖もありましたが、それ以上にやりたくないことをやり続けるのはイヤだという想いがありました。
そしてミーティング当日、戦場に赴くかのような気持ちでオフィスに向かい、ミーティング開始。
「これ以上テレアポはやりたくありません。自分たちで新しい事業をつくりたいです。ダメならここを辞めてアルバイトでも何でもしながら生きていきます」
と正直な思いを伝えると、Bオーナーから意外な返答。
「わかった。まなぶのやりたいようにやってもらってかまわない。君の給与は出そう」
完全にクビを覚悟していたのに、思わぬ返答に面食らいました。
しかし続けて
「ただし給与を保証するのは君の分だけだ。他のメンバーの分は保証しない」と言われました。
ちなみに当時のぼくたちの給料は10万円でした。贅沢をしなければ何とか生活ができるといった程度のレベル。
さすがに独断では決められないため、ここからBさんとFさんを交え5人でミーティング。
Bさんは開口一番「もう辞めます」と伝えたため、Bさんとの話は即終了。
Fさんの給与に関しては、話し合った結果、完全歩合のフルコミッション制に移行することになりました。
「自分だけが保証される環境で本当にいいのか?」とぼくはこの時かなり葛藤をしました。
しかしFさんは「まなぶさんと一緒に新規事業を盛り上げていきたいから」と言ってくれ、フルコミッションへの移行を了承してくれました。
「もしFさんがお金の面で困ったらできる限りの援助をする」と約束。Fさんとは完全に運命共同体となりました 笑
彼の強さとその想いに本当に救われました。
・新スタート
こうしてBさんも退職し、彼は香港には留まるとのことでしたが、同居していたマンションからは引っ越しをすることに。
「別々な場所にはなりますがお互い頑張りましょう」と決意し合い、Bさんと別れました。
こうしてFさんと2人だけとなり、新たなスタートを切った香港インターンシッププログラム(もはやインターンではない 笑)
ここまでで香港に来て約半年間の出来事。かなり濃密な半年間でした。
人が入っては出ていくの繰り返しで気づけば2人。しかも残った2人の共通点はブラック企業経験者 笑
半年前までインテリアショップのパートだったぼくがいきなり海外に来て、気づけば肩書が代表取締役社長に。
我ながら不思議な人生だなと感じつつ、新たな舞台へ向けて走り始めるのでした。
つづく
今日も素敵な1日を。
たきまなぶでした。